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GIFUコレ!情報局42

瑞穂市 歴史散歩してみてね♪

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■瑞穂市 城跡■

十七条城跡、十九条(じゅうくじょう)城跡(じょうあと)、美江寺城跡、(ただ)(こし)城跡、本田(ほんでん)城跡など、

沢山あるんです。今は城址の標柱だけの所もありますが、今回は、「十七条城跡」と

「十九条城跡」について、ご紹介したいと思います。


・「十七条城跡」

熊野神社を北端にして、南側に十七条城があったようです。南北朝時代に、

舟木頼胤(よりたね)が築いたお城です。城主は数代変わり、1530年頃には、

徳川家康に仕えた林氏の居城となりました。春日の局の夫となる林正成は、

1571年この十七城で生まれました。春日局もこの十七条城で生まれ育っています。

のちのち、後継ぎがいないため、十七条城は廃城になったようです。

熊野神社内に春日の局ゆかりの地やドラマの説明版などが立っています。

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・「十九条城跡」

こちらは、津島神社境内となっている辺り一帯に築かれていました。

神社境内が、本丸跡といわれ、案内板が立てられています。遺構はほとんど残っていませんが、

神社北側にわずかな堀跡が残っています。

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1526年、土岐頼純の命により、川手城を防衛する出城の1つとして、齊藤利良によって築かれました。

その後、齊藤道三が美濃国を支配するようになると廃城となりましたが、その後、

織田広良が城主となって再び城が築かれました。その後斎藤龍興と織田信長が現・瑞穂市の

十四条と現・本巣市の軽海で戦った際十九条城主の織田広良が戦死したため、廃城となりました。

瑞穂市教育委員会の説明書きが立っています。それによりますと、「ここには屋敷という


()字名(あざめい)があり、城屋敷の名残(なごり)を示している。また犀川(さいかわ)が西で半円を描いて流れ、天然の

要塞(ようさい)をなし、城地として、適地であった」と書かれているんです。お城に適した地が

瑞穂市にあったと思うと、感慨深いものがあります。皆さんも是非訪れてみてくださいね。

詳しくは、瑞穂市HPをご覧ください。