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大垣市 島津の退き口とは?
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■大垣市 島津の退き口■
・関ヶ原合戦における撤退戦「島津の退き口」
1600年9月15日午後、関ヶ原合戦において石田三成率いる西軍の敗走が決定的となり、
総崩れとなる中、最後まで戦場に残っていたのが、わずか1500の兵力で参戦した西軍の島津義弘隊です。
戦場に残る西軍が島津隊のみとなり、義弘は家康本陣に突入して討死しようとしましたが、
甥の島津豊久、家老の長寿院盛淳ら家臣の進言により、意を改め薩摩への帰国を決意し、東軍
を敵中突破しながら、前進退却を敢行したというエピソードです。
東軍の敵中突破した島津隊は、家康の本陣前をかすめ、大垣市上石津地域を抜けて伊勢街道から
島津義弘を薩摩に返すことに成功しました。
この戦いで東軍の井伊直政らの激しい追撃を食い止めるため、島津隊の島津豊久や長寿院盛淳らは
殿にまわって、死ぬまで戦うという壮絶な戦法をとりました。
豊久奮戦の地である烏頭坂や盛淳の墓がある琳光寺、豊久菩提寺の瑠璃光寺はすべて
大垣市上石津町にあります。
上石津は「島津の退き口」の舞台であり、島津豊久が戦い、最期を遂げた地なのです。
詳しくは、大垣市HPも、ご覧ください。
この「島津の退き口」の様子は、関ヶ原古戦場記念館でも紹介されています。
新型コロナウイルスによりなかなかお出かけできない日々が続いておりますが、コロナが落ち着き
ましたら、島津隊の歩んだ道のりを体感されてみてはいかがでしょうか。
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