てくてく中津川
【てくてく岐阜歩き 中津川】高嶺山と曽我五郎十郎翁について【音訳ボランティア さざなみの会】
てくてく岐阜歩きこの時間は中津川!
今日は、中津川の偉人を知るシリーズです。
地元の方が書かれた翁についてのエッセイを、音訳ボランティア
さざなみ会の亀山さんにナレーションのように紹介していただきました。
曽我五郎十郎翁(そがごろうじゅうろうおきな)は、
旧坂下町(現在の中津川市坂下地区)と中津川市苗木地区にまたがる高峰山(たかみねやま)を明治4年の廃藩置県の際、
個人で買い取り、その後、8年に渡る整備や植林を行った後、町に寄付をされました。
その高峰山で採れる木材は昭和時代の公共施設整備で大変、
大きな財源となり、伊勢神宮の式年遷宮などでも使用され、現在も中津川市の財源として町の発展に貢献しています。
曽我五郎十郎翁の功績が無ければ、旧坂下町の発展は無かったと語る亀山さん。
その功績を後世に伝えるために、仲間と共に高峰山が望める場所に記念碑を建てられました。
50年、100年後の町の状況を考え対策を講じてきた曽我五郎十郎翁は現在も地域の方に愛され続けています。
そんな曽我五郎十郎翁(そがごろうじゅうろうおきな)についてのエッセイを
音訳ボランティア さざなみ会の亀山さんにナレーションのように紹介していただきました。
※音訳とは視覚障害者に文字を音として届ける、あまり抑揚のないナレーションのような語りのことです。
ぜひ、皆さんも高峰山や記念碑を見て、翁の功績に触れてみてくださいね。
【記念碑のある場所】
坂下公民館 駐車場(〒509-9232 岐阜県中津川市坂下820−1)
中津川に関することは、「 恵那山ねっと 」をご覧ください。