GIFUコレ!情報局42
垂井町 どうする?家康ゆかりの史跡行ってみる?
GIFUコレ!情報局42
■垂井町 「関ケ原合戦」に参加した武将の陣跡■
・東軍(徳川軍)が勝利した要因
松尾山に布陣していた西軍の将、小早川秀秋の裏切り。
南宮山に布陣していた西軍の将の合戦への不参加。
垂井町の南西にそびえる南宮山には毛利秀元・吉川広家等の3万の西軍の軍勢。
東軍と密約を交わしていた吉川広家が応じませんでした。毛利秀元や、南宮山のふもとに
陣を敷いていた長束・安国寺・長宗我部らも進軍できませんでした。
・垂井城主の平塚為広と菩提山城主竹中重門の動向
東軍・西軍どちらにつくか。平塚為広は、義を重んじ西軍で参加。竹中重門は父が豊臣秀吉の軍師
だったため、西軍に属していたのですが、徳川家康からの一書を受け取り、東軍に加わった。
垂井町が作成した、アニメーション「関ヶ原合戦~岐路に立った垂井の武将たち~」で描かれています。
・竹中氏陣屋跡
竹中半兵衛重治公の息子である重門が築いた。創建当時を思わせる白壁の櫓門や水堀、
石垣の一部が残り、門前には半兵衛重治公の像。この櫓門は、旗本で全国唯一の城郭建造物。
禅幢寺には、36歳の若さで病死した半兵衛公を弔って、子の重門が立てたお墓が現存。
禅幢寺から、菩提山に登ると、山城跡もあり、解説付きの標識。
詳しくは、垂井町観光協会HPを、ご覧ください。