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御嵩町 笹の武将♪
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■御嵩町 可児才蔵■
戦国最強ともいわれる猛将の生誕地。才蔵は名のある大名でもなく、城も領地もない一介の兵士。
強さから生まれた魅力的なエピソードの数々。
戦国時代から江戸時代初期に活躍した武将。槍の名手。御嵩町の古刹「願興寺」に伝わる大寺記に
才蔵の出自について記されており、越前で朝倉義景が滅ぼされた際、逃げ出した側室が
願興寺にたどり着き、後に才蔵を産んだとされています。
朝倉の姓を名乗ることを避け、願興寺の別称である「可児薬師」から姓を可児、
名は太郎として幼少期を過ごした後、成長して越前へ出ていく際に「可児才蔵」と
名乗るようになった。
天下分け目の関ケ原に出陣。
才蔵は東軍、福島隊の先鋒隊長として先陣を切りました。戦いの火蓋を切る重要な役割。
最も危険な場所。その中で才蔵はなんと17の首級を挙げたとされ、この数は、関ケ原の戦いで
もっとも多い数。またこの時、才蔵は自分の打ち取った首級の鼻や口に笹を入れていたことから
「笹の才蔵」とも呼ばれました。
・願興寺までのアクセス
東海環状自動車道可児御嵩ICから約3分。電車で来られる場合は、名鉄御嵩駅を降りてすぐ。
霊宝殿をご覧になりたい方は事前に予約必須。
詳しくは、御嵩町観光協会HPを、ご覧ください。